「切る」だけではなく「場を育てる」 働く人と訪れる人の会話がやさしく交錯し、古い家具と手仕事の素材が共鳴する美容室の設計。
COMPLETION DATE | 2024 |
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CATEGORY | 美容室 |
LOCATION | 千葉県市川市新田5丁目9-22 ドミール瑞来 101 |
市川に構えられた美容室「UTSUGI」は、オーナーの松本氏が“ただ髪を切る場”を超えた空間を求めて始まったプロジェクトでした。
最初に候補となった物件は線路脇の立地などの条件で断念しましたが、ほどなくして現在の場所が決まり、スピード感を持ってプロジェクトは進行。物件契約後すぐに賃料が発生することもあり、設計と施工を並走しながら、“走りながらつくる”プロセスで空間を形にしていきました。
オーナーが抱えていた一番の課題は、美容室における「会話の距離感」でした。セット面同士が近いことで、隣席の会話が気になったり、逆に自分の声が聞かれることにストレスを感じることがある。それを解消するために、セット面はわずか2席。贅沢に空間を使うことで、人と人との“間”を設計しました。
個室のように完全に仕切るのではなく、視線や音が自然に交わらないよう工夫することで、空間としての開放感は保ちつつ、落ち着いた時間が流れるような場所になっています。ハンガーラックや荷物置きも各席のすぐそばに設けることで、バックヤードに預ける必要もなく、個人の居場所としての自律性を守っています。
内装の仕上げにあたっては、オーナーから「古い家具に合う空間にしたい」「木や土の素材感を活かしたい」という希望がありました。壁面には、石膏系の左官材を採用。これは下地ボードに直接塗ることができ、薄く仕上げながらも、抑え方や撫で方によって質感が大きく変化する奥深い素材です。
今回、塗装屋や左官職人とも密に連携し、色味や表情を何度もサンプルで検証。クラシックな家具に馴染みながら、決して重たくなりすぎないよう、落ち着いた色合いの茶と黄色をベースに調整を重ねました。
カットスペース背面の棚やレジカウンター下部には、販売用の商品棚も設けています。アパレルショップのように“見せる”ことを前提とした什器計画とすることで、接客の導線の中に自然なプロダクト紹介の流れをつくり出しています。
通常であれば、全体設計をまとめた後に工事へと進みますが、本案件では時間的制約から、解体・天井の撤去といった初期工事を進めながら、設計を詰めていく手法をとりました。動かせない壁や水回りの位置だけを早い段階で確定し、その他の仕上げや寸法、素材の詳細については工事と並行して検討。
この“走りながら整える”プロセスは、オーナーとの関係性と信頼があってこそ成立したものであり、設計者・施工者・施主の三者の協働によって、柔軟かつ確実な進行が実現しました。
UTSUGIでは、美容室としての収益性や効率を一切無視したわけではありませんが、それ以上に大切にしたのは、「その場にいることの豊かさ」でした。商業施設やサロンが多席化・効率化していく中で、少席でも成立し、顧客との信頼関係に基づいて機能する場の可能性を提示しています。
美容室が“通う場所”ではなく、“誰かに会いに行く場所”として捉えられるようになる。そのための余白と密度、そして素材と手触りの提案。UTSUGIは、美容室という形式をひとつの「文化的な装置」として再構成する試みでもありました。